飽きちゃった?夏

SE→IT人材にとらんすふぉーむ済の粗大ゴミ(28)が何かほざいてるだけ。

それは喜劇!

Bluetoothのイヤフォンが壊れて不便を感じる。まんまと流行りの「隠れインフル」に罹患したせいで外との接触を絶って数日過ごしてみたけど、特段不便もない。何か猛烈に嫌なことに邂逅したとき、私はすぐに江戸時代にタイムトリップ(妄想)するけれど、流通の便を考えると、現代の有り難みを感じて軽率に手のひらを返すのだった。アマゾンにしろ宅配にしろクリーニングにしろ、電話一つで事足りるから良い。普段ならケチって業者に頼まないことも、伏せれば優先事項を健康のリカバリーにしちゃうんだもんね。ここまでの生き方を省みるに、小金を手に入れることは出来ても、ビルゲイツになれはしないことを改めて確信する。少女漫画ならヒロインに負ける脇役、少年漫画であれば四天王の最弱ポジションくらいの立ち位置で生きることの快適さとしんどみを誰と共有したいわけでもない。奥に隠し持つナニカを他人が大事に語りたがるとき、私は冷たい表情を隠すことができない。なぜ、自分だけが特別のように皆が思い込むのか、その浅はかな傲慢さを擂り粉木で一つずつ粉砕して、チーズケーキの土台に出来たらどれだけ愉快なことかと思う。どのコミュニティにおいても、万人に通じるのではないかと思えるほどの選民思想、見え隠れするたびに私はゲロを吐きかける。勘違いしないで欲しいのは、選民性のある人間をやみくもにディスってんじゃないってことよ。あるものを「ない」とする振る舞いに吐き気がするのよ。演じるのであれば、それは誰にも悟られてはいけない。語るのであれば、それは「ある」と言わなければならない。どちらも選べないのであれば、その人間は己の醜悪さを認めた方がよい。醜悪さを他人が認めず、受け入れない様は滑稽で、趣味の悪い冗談のよう。どっちつかずの役を担う人間は、生きている限り、己の喜劇を演じきる必要があるというのに。課せられたタスクを無視して、検討違いの標識に踊らされる。悲劇かもしれない!